女子美短大で学んだスキルを生かし、
卒業生はこんな職業・分野で活躍しています。
- 奥村 心雪 × 女子美短大 デザインコース卒 = サンリオキャラクター「シナモン」の生みの親
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奥村 心雪
デザイナー
株式会社サンリオでは、女子美の卒業生が数多く活躍しています。
キャラクター制作部で活躍する奥村さんは、人気キャラクターシナモンの生みの親。
サンリオでの仕事の進め方や企業文化について、お話をうかがいました。Q:サンリオに入ったきっかけは何ですか?
私は高校時代にサンリオで働きたいと決意しました。
絵が好きだったので、美大への進学を考えて資料を集めていた時に、女子美の卒業生の主な就 先にサンリオがあって、キティちゃんを育てた山口裕子さんが女子美出身だったということを知りました。
サンリオが目的で女子美に入ったようなものです。Q:入社してからはいかがでしたか?
それはもう好きなことをして1日過ごしていられるので楽しいですよね。
私たちは、キャラクターをつくることが大きな目的ではありますが、サンリオショップにおいてある商品のデザイン1つひとつも、パッケージデザインなども含めて、キャラクター制作部のデザイナーがつくっています。Q:シナモンのキャラクターはどんなふうに生まれたのですか?
シナモンは形状から生まれました。
お餅がつぶれたような輪郭のゆるいキャラをつくりたいということで、最初にその形ができたのは入社2年目でした。
その時はまだうさぎで、服を着ていたんですよ。
1回目に提出した時は採用には至らなかったのですが、形は悪くないということで、引き続き追求していこうということになりました。
その後、『いちご新聞』でニューキャラを読者投票によってデビューさせるという企画があった時に、リベンジしました。
当時小型犬ブームだったので、うさぎから強引に犬という設定に変えました。
それが投票で5位に選ばれたのです。Q:5位から商品化への道は?
その後、店頭でアンケートをとったところ小学校高学年の間でシナモンが1位になったので、商品化に至りました。
サンリオでは、入社1年目からキャラクターを出せるチャンスがあるので、新キャラに関しては完全に社内競争ですね。
自分でキャラクターをあたためておいて、チャンスが来た時に出すのです。
基本的には商品デザインの仕事を通常業務として毎日やっているので、ニューキャラクターのデザインに関しては、同時進行でやります。Q:サンリオで仕事をする上で大事なことって、どんなことだとお考えですか?
絶対に必要なものは協調性だと思います。
プランナーがこういう商品をつくりたいというものを考えてきて、それを目に見えるものにするのがデザイナーの仕事なので、本当に二人三脚、コミュニケーションがすごく大切だと思います。
美大の人は自分の世界をつくりたいと考える傾向があるので、そういうことが苦手な人が多いかもしれないですが、仕事をする上では協調性やコミュニケーション力が絶対必要だと思います。株式会社サンリオ キャラクタークリエイション室 執行役員
1999年 短期大学 造形学科 情報デザイン専攻(現:デザインコース)卒業
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- 饗庭 あさこ × 女子美短大 デザインコース卒 = パッケージデザイナー、アートディレクター
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饗庭 あさこ
パッケージデザイナー、アートディレクター
ボッテガ・ヴェネタ、トムフォード、カルバン・クライン、エスティ・ローダー等、一流ブランドのパッケージデザインを手がけている饗庭さん。
(株)資生堂を経て、2006年よりNYに渡り、LLOYD&COでアソシエイトクリエイティブディレクターとして活躍されています。Q:饗庭さんの現在のお仕事とNYで働く魅力を教えてください。
ファッションとコスメティック業界を主にした LLOYD&COというデザインオフィスで、香水のボトルやパッケージ、企業のブランディングまで幅広くデザインに携わっています。
ボッテガ・ヴェネタやカルバン・クラインなどの仕事は、ニューヨークだからこそできると思っています。
いろいろなクライアントと仕事をすることができるので、デザインの幅も広がり、毎日凄く楽しいです。
デザイナーはもちろん、世界からいろいろな分野で優秀な人が集まってくるので、毎日刺激を受けます。
住むのにはとても厳しい街ですが、何かを達成した時は喜んで、皆が認めてくれる。
私にとってはとても心地が良い場所です。Q:資生堂で働いた後、どうやってNYで就職したのでしょうか。
英語はほとんど喋れない状態でしたので、まずはインターンシップでもいいと思って来ました。
最初に訪れた会社は英語力の問題で断られました。
今の会社はとても興味があり、ポートフォリオを見てもらったところ、インターンシップとしなら採用できるということで、仕事を開始しました。
コミュニケーション能力がゼロな分、デザインの仕事に関しては、「他の人がやる以上のことを自分で考えて実行した」という記憶があります。
正規採用までは半年近くかかりました。
日本人は、言葉などのハンディキャップを補ってそれ以上の結果を出す必要がありますが、やる気次第だと思います。Q:仕事をする上で大切にしていることは、何でしょうか。
一番に考えているのは、「よいデザインを世の中に残していきたい」ということです。
そういうお手伝いができればと思っています。
私はアーティストではなくてデザイナーなので、商品をビジュアル的にどう伝えるかを考えています。
自分は、負けん気が強いところがあると思います。
資生堂の採用時も、最初はアシスタントデザイナーとして入りました。
どんな雇用形態であれ、一度中に入ってしまえば、やることはデザインですので、正社員も契約社員も同じです。
日本もアメリカもその点では違いはありません。今の会社でも最初はジュニアデザイナーから始めたのです。Q:学生へのメッセージをお願いいたします。
日本人ってやっぱり真面目で根気強いし、センスがいい。
こちらの人はデッサン力が弱いので、女子美での経験も非常に役立ちます。
就職難と言われていますが、強みをどんどんアピールしていけば良いと思います。LLOYD&CO アソシエイトクリエイティブディレクター
1998年短期大学部 造形科 情報デザイン専攻(現:デザインコース)卒業
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- 桑島 十和子 × 女子美短大 デザインコース卒 = 映画「パコと魔法の絵本」の美術監督
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桑島 十和子
美術監督
桑島さんは美術デザイナー寒竹恒雄氏のもとで、中島哲也監督のCM作品などを制作されています。
主な作品に中島監督演出のCM『JRA』『午後の紅茶』『サントリー 角』や、映画『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『パコと魔法の絵本』などがあります。
『下妻物語』のプロダクションデザインは、第59回毎日映画コンクール美術賞受賞、『パコと魔法の絵本』では第32回日本アカデミー賞最優秀美術賞を受賞されました。現在のお仕事に就いたきっかけは何ですか?
私は高校から女子美です。
絵が好きで、特に物語に沿って絵を描くことが好きでした。
最初は絵本とか挿絵に興味がありましたが、中学時代に映画を見はじめてから、役者さんの奥にあるものがお話にそって現れてくることに感動しました。
そこで映画の世界に入るために、絵を描いていればきっかけがつかめると考えたのです。
学生時代はいつも仕事の入り口を探していて、美術スタッフのアルバイトにもぐり込むことができました。仕事はみんなのお世話係で、お茶出しや道路で交通整理をしました。そこからどのようにして監督への道を歩んだのでしょうか?
その会社で師匠である寒竹さんに出会いました。
最も影響を受けた人ですね。
20年以上の師弟関係を築いています。
みんなから愛される人ですが、仕事については特に何も教えてはくれません。
助手をしながら見よう見まねで、現場で学んできました。
25歳頃から映画やCMを任されるようになりました。
映画とCMの仕事の違う点は撮影の長さの問題だと考えています。
私はCMの人からは映画の人、映画の人からはCMの人と言われます。
CMの仕事が多いのですが、基本的に媒体にこだわらないので、舞台でもプロモーションビデオでも何でもやります。映画監督とお仕事をするのはいかがでしょうか?
中島監督との仕事はすごくおもしろいですね。
台本を読んでいると、文で読むと1行ですが、その表現がものすごい1行だったりするのです。
窓からの光が動いていて、そこに陰があって、主人公の感情を表していたりします。
監督は、やりたいことがいっぱいあって、それにこっちも刺激されるし、スタッフも刺激される。
その考えに負けたくないからもっとおもしろいものを持っていこうと思います。
台本に描かれてない人物設定を自分で考えて、それを取り入れてもらえると嬉しいですね。仕事で大事にしていえることはどんなことですか?
美術の現場には、大道具さん、塗り屋さん、造園部、左官屋さん、背景屋さん、装飾部、持ち道具さん、雨屋さんなど、たくさんの人がいます。
彼らを全部ひっくるめたのが美術で、それをまとめるのが私の仕事です。
現場では監督と相談しながらアイディアを絵に描いていったりしています。
仕事で大事にしていることはみんなをびっくりさせることですね。
今までやってきて、何かしたいことがあったら誰かに聞いてみると広がると思っています。
自分1人でできることはそんなにないですから。株式会社サムシングエルス 美術デザイナー
1992年 短期大学 造形科 絵画教室(現:短期大学部 造形学科)卒業
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- なかや みわ × 女子美短大 デザインコース卒 = 絵本「そらまめくん」の作者
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なかや みわ
絵本作家
人気シリーズ「そらまめくん」を生み出した絵本作家のなかやみわさんは、企業での仕事経験を通して、自分のめざす道と出会えたと言います。
絵本作家を目指したいきさつなどをおうかがいしました。Q:企業で働いていながら、なぜ絵本作家を目指そうと思ったのですか?
私が企業で仕事をしていた頃は、ちょうどバブルが崩壊して世の中がキャラクター離れをしていた時代でした。
キャラクターデザイナーとして自分のキャラクターを生み出したいという夢を持ち続けていたので、何か自分なりのやり方があるのではないかと模索していました。
そんな中で出会ったのが、外国の絵本でした。
外国の絵本には必ず“親愛なる妻へ”とか、“子どもたちへ捧げる”という身近な人に対するメッセージが記されています。
絵本をつくっている根本的なスピリッツが違うのではないか、と考えさせられました。物語の絵を追って読んでいるだけで、キャラクターが生き生きとしていました。
私も外国の絵本のように、お話も絵も自分でつくってみたい、これこそ自分が挑戦できる仕事だと決意しました。Q:絵本をつくることを決意してから、どのように勉強されたのですか?
決意はしたものの、どうやって絵本作家になるのか?という方法は皆目わかりませんでした。
とりあえず、ひたすら本屋さんに通い、『moe』や『クーヨン』などの雑誌を読み、バックナンバーを手に入れ、講演会やワークショップに通いました。
おぼろげながらどんな世界か見えはじめた時に、川端誠先生の絵本教室に通うようになりました。川端先生は「絵本はまず手でつくること」という主義で、32ページ15場面と表紙の原画をしっかり描くことを指導されました。
その作品を出版社に持ち込んで、編集者に見てもらうことが第一歩だということを教えていただきました。Q:そこから絵本作家デビューの道へつながったのですね?
私は、『そらまめくんのベッド』の原型になるものを編集者に見ていただくことができました。
いきなり絵本にするのは難しいけれど、月刊誌に掲載してくださるということで1997年の春にデビューしました。
幸いにも読者のアンケート葉書で次の作品も掲載されることになったのです。
そらまめくんは読者の方々が育ててくれた作品です。
新人の時は、一作一作が次につながるのだと信じて、こつこつと仕事をしていたと思います。
今では、キャラクターとして、ぬいぐるみやキーホルダーなど、さまざまな形で展開されており、とてもうれしく思っています。Q:これから女子美で学び社会に出ていく後輩に、何かメッセージをいただけますか。
私にとっては、企業で働いた経験がとても重要だったと思います。
組織で働くことと個人で働くことのどちらかが優れているということではないのです。
大切なのは自分が輝ける場を見つけることです。
そしてそれは、自分で努力して開拓する以外に方法はないのです。1992年 短期大学 造形科 グラフィックデザイン教室(現:デザインコース) 卒業
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美術の力を保育の現場に活かす
保育士資格取得のための支援プログラムスタート!
美大ならではの専門知識と技術力を活かした「美術のできる保育士」の育成を目指し、
2013年度から開設するプログラムです。
絵を描くことや色を塗ること、折紙などで立体作品を作ることなどは、
子どもたちにとってはとても身近な行為の1つです。
美術大学で学んできたアートやデザインの持つ表現力・技術力・想像力を幅広く活かし、
保育という現場で将来的に安定した仕事へつなげていくためには
保育士資格の国家試験に合格することが必要です。
短期大学部では授業の中に保育に関する科目を開設する他、試験前には受験対策講座などの実施もします。
尚、平成26年度から一部の科目で単位認定します。
美術と保育、2つの視点を持つ卒業生が社会で活躍できるよう本学全体で支援していきます。